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民報サロン①


本日の会津は久々の雪

それにしても、、、全然積もりません





  本日の萬花楼お庭





昨年の9月から4ヶ月間

民報新聞の民報サロンに執筆させて頂きました

沢山の方々からコメント頂きありがとうございました

毎日せわしない生活の中

ゆっくり考えて

自分を振り返ることが出来ました

改めて執筆してよかったです!!



ブログなので6回載せてみます

時間がある方は読んでみてください



民報サロン① (2019,9,29)




  『残したい芸妓文化』



皆さんは「芸妓」と聞いてどんなイメージを持たれますか?
宴会の席で踊ったり歌ったりしている華やかな職業というイメージでしょうか。
実家が料亭である私は花柳界を身近にみて育ちました。
毎晩賑やかな声と三味線の音が色々な部屋から聞こえ、芸妓さんの姿は私にとって憧れの存在でもありました。
三味線の腕はもちろん、礼儀の正しさ、所作の美しさに心をわしづかみされたのを覚えています。
そもそも芸妓文化は江戸時代中期くらいから城下町で盛んに行われていたようです。
宴会の席で芸を披露するだけと思っていらっしゃる方が多いかもしれませんが、それは間違いです。
お客様に料理を提供しながら、唄や舞を披露し、その後接客をします。耳で聴かせ、
目で楽しませ、鼻と口で料理を感じ、肌で雰囲気を味わってもらう。正に五感のエンターテインメントです。
空間の演出は並々ならぬ努力をしなければいけません。
芸妓を磨くことは私の想像を遥かに超え、「修行」という言葉がしっくりくるかもしれません。
技術を磨くだけではなく、接客や女性としての振る舞いにも磨きをかけなければいけません。
普段の所作にも細心の注意を払い並々ならぬ努力を行っていることをしりました。
ですから、その努力に見合う料理と環境の提供をし続けることが私の使命であると感じています。
私が家業を継ぐ為に25歳で帰郷して最初に驚いたのは、現役芸妓さんの人数でした。
私が子どもの頃は会津芸者さんと東山芸妓さんが100名以上いたのに対し、
会津芸者さんは4名、東山芸妓さんは20名ぐらいになっていたのです。
もちろんお店には芸妓さんは呼ばれていましたが、昔のように、
料亭に芸妓さんが常に待機をすることはなくなっていました。
そして、現在では料亭がなくなっていくのに比例してか、会津芸者もいなくなり、
東山芸妓さんが20人以下になってしまいました。
ある時、年配の芸妓さんが、私たちの時代はいい時代だったけれど、今の若い子は可哀想だと。
仕事もそうだけど、日々お稽古を頑張っていても、それをお披露目する場所がない。
もっと沢山の人に芸妓を知ってもらいたい。
そうでないと若い子が夢を抱き、努力し、芸妓になっても生活が出来なく、辞めてしまう。と話していました。
その言葉を聞き、胸が痛くなりました。
この素晴らしい伝統を断たせていけないと強く感じました。
そして、会津にはこんなに素晴らしい芸妓さんがいることを沢山の方々に知って頂きたく始めたのが、
今年で13年目を迎えた萬花楼桜まつりです。
芸妓さん十数名を上げて、鳴り物や三味線、長唄を見て頂くためイベントです。
地元の方はもちろん、口コミで県外のお客様にも来て頂き、毎年楽しみにしてくださっています。
しかし、このイベントも1度だけ辞めようと思った時があります。
それは8年前に起きた東日本大震災の時です。
誰もが忘れられない年です。街の灯りも消え、営業もままならない状況でした。
そんな時にイベントをしてはいけないという状況でしたがが、
こんな時だからこそやるべきだよ、少しでも力になりたいからやってほしいと様々な声をいただき、
伝統ある芸妓をやらなければ、一人でも多く元気付けたい、
会津は、福島は復活するんだ!という思いで行いました。
県内はもちろん、県外からも来て頂き、何よりも全く仕事がなかった芸妓さんが喜んでくれた顔を今でも覚えています。
私たちを応援してくださるお客様がいる限り、この伝統ある芸妓を続けていきたいと思います。私が残していきたい文化です。



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プロフィール

まんげろう

Author:まんげろう
萬花楼 女将 大塩真理
誕生日:1976年4月29日
趣味:買物とマリンスポーツと食べる事


会津の老舗割烹料亭「萬花楼」へどうぞお越し下さい

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